鉄塔 日活線 2回目
日活線を再調査します。
日活線は稲田線20から分岐して鉄柱3本で日活撮影所に行く路線・・・でしたが、こいつも変化!
地図
写真はクリックで拡大します。
桜ヶ丘線と同日、日活線も元気かなぁと寄ってみました。
よしよし元気そうだ。と、一応プレートだけ確認して帰ろうと思ったら・・・
「うぐあぇ?????日活線9だとぉぉ?」
うえからシールで貼られています。
▲日活線9(旧:日活線3)
こんどは日活線の文字まで上からシールで貼られています。テープの下は「日活線」というもともとの文字は見えますが、その他の文字は見えません。貼った意味がわかりません。
▲日活線8(旧:日活線2)
ここが日活線8ならこの先がどうなっていくのかが予想がつきます。
▲日活線7(旧:日活線1)
札の掲載は省略します。8号同様、文字もシールが貼られています。
▲日活線6(旧:稲田線20)
もともとは分岐元の稲田線20は日活線6になっていました。
▲日活線5(旧:稲田線19)
稲田線時代は札と大型プレートが掲載されていましたが、現在は札に上からシールが貼られているだけで、大型プレートはなくなっていました。
▲日活線4(旧:稲田線18)
こちらも大型プレートは撤去されています。
▲日活線3(旧:稲田線17)
こちらも大型プレートは撤去されています。
▲日活線2(旧:稲田線16)
日活線=鉄柱でしたが、覆されています。
▲日活線1(旧:稲田線15)
日活線に環境調和型とは。
大型プレートは撤去されています。
地中へ引き込まれますが、どこへ行くのかは確認できませんでした。
ここで気になるのは、稲田線21。
確認したかったのですが、家に帰ることを考えると寄り道はしていられず、帰る選択をしました。
行きたかった。
どうしてこうなったのか想像してみました。
赤=稲田線
水=日活線
緑=浄水菅線
黒=不明
もともとはこうであったと想像できます。稲田線の接続元は車返変電所だということも言われています。
以前訪問時はこうでした。
稲田線の1~14は廃止になっていました。ここは京王線の上を門型鉄塔で通過していました。廃止とありますが、単に地中化されただけかもしれません。
今回確認できたのはこうでした。稲田線15~20は日活線名義になりました。稲田線21からは確認できませんでした。
つまり、稲田線15~20が日活線になったのは、もともとの1~14が廃止となり分断されたためでしょう。
ここからは稲田線21以降の名前の予想です。
さて、どれなんでしょう。
時間があればたどれましたが、無念です。今後行ける予定もないので、誰か行ってきて~~~。
1号 不明
2号 昭和44年3月建設 23メートル
3号 昭和44年3月建設 25メートル
4号 不明
5号 昭和44年3月建設 23メートル
6号 昭和44年3月建設 24メートル
7号 昭和47年9月建設 27メートル
8号 昭和47年9月建設 19メートル
9号 昭和47年9月建設 19メートル
日活線は稲田線20から分岐して鉄柱3本で日活撮影所に行く路線・・・でしたが、こいつも変化!
地図
写真はクリックで拡大します。
桜ヶ丘線と同日、日活線も元気かなぁと寄ってみました。
よしよし元気そうだ。と、一応プレートだけ確認して帰ろうと思ったら・・・
「うぐあぇ?????日活線9だとぉぉ?」
うえからシールで貼られています。
▲日活線9(旧:日活線3)
こんどは日活線の文字まで上からシールで貼られています。テープの下は「日活線」というもともとの文字は見えますが、その他の文字は見えません。貼った意味がわかりません。
▲日活線8(旧:日活線2)
ここが日活線8ならこの先がどうなっていくのかが予想がつきます。
▲日活線7(旧:日活線1)
札の掲載は省略します。8号同様、文字もシールが貼られています。
▲日活線6(旧:稲田線20)
もともとは分岐元の稲田線20は日活線6になっていました。
▲日活線5(旧:稲田線19)
稲田線時代は札と大型プレートが掲載されていましたが、現在は札に上からシールが貼られているだけで、大型プレートはなくなっていました。
▲日活線4(旧:稲田線18)
こちらも大型プレートは撤去されています。
▲日活線3(旧:稲田線17)
こちらも大型プレートは撤去されています。
▲日活線2(旧:稲田線16)
日活線=鉄柱でしたが、覆されています。
▲日活線1(旧:稲田線15)
日活線に環境調和型とは。
大型プレートは撤去されています。
地中へ引き込まれますが、どこへ行くのかは確認できませんでした。
ここで気になるのは、稲田線21。
確認したかったのですが、家に帰ることを考えると寄り道はしていられず、帰る選択をしました。
行きたかった。
どうしてこうなったのか想像してみました。
赤=稲田線
水=日活線
緑=浄水菅線
黒=不明
もともとはこうであったと想像できます。稲田線の接続元は車返変電所だということも言われています。
以前訪問時はこうでした。
稲田線の1~14は廃止になっていました。ここは京王線の上を門型鉄塔で通過していました。廃止とありますが、単に地中化されただけかもしれません。
今回確認できたのはこうでした。稲田線15~20は日活線名義になりました。稲田線21からは確認できませんでした。
つまり、稲田線15~20が日活線になったのは、もともとの1~14が廃止となり分断されたためでしょう。
ここからは稲田線21以降の名前の予想です。
さて、どれなんでしょう。
時間があればたどれましたが、無念です。今後行ける予定もないので、誰か行ってきて~~~。
1号 不明
2号 昭和44年3月建設 23メートル
3号 昭和44年3月建設 25メートル
4号 不明
5号 昭和44年3月建設 23メートル
6号 昭和44年3月建設 24メートル
7号 昭和47年9月建設 27メートル
8号 昭和47年9月建設 19メートル
9号 昭和47年9月建設 19メートル
by yunomi-chawan
| 2013-09-21 00:00
| 鉄塔のある風景
鉄塔、鉄道、地図、バス、旅、駅、自転車、など多種多様
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